自民党と国民民主党の「あの2人」がまさかの究欧博娱乐極タッグ!「超党派議連」で永田町をぶっ壊す‼(週

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发布时间:2024-09-12 19:36

候補者乱立の自民党総裁選が盛り上がりを見せるが、自民党派閥の裏金問題に端を発した「政治改革」が総裁選のお祭り騒ぎで忘れ去られてはいないか。そう憂慮するのが、選挙制度改革の超党派議連を立ち上げた自民党の古川禎久元法相(59歳)と国民民主党の古川元久国対委員長(58歳)だ。同じ年生まれで名前は一文字違い、ともに東大法学部卒という経歴で、政界では「古古コンビ」と呼ばれている。(取材・文/峰田理津子)

よく名前を間違えられて…

―与党と野党、本来であれば対立関係のお二人が、親交を深めた経緯を教えてください。

元久:知り合ったきっかけは、席が五十音順で決まる東大の入試で隣り合わせたことです。もっとも、大学時代はさほど付き合いはなかった。

禎久:元久さんは在学中に最年少で司法試験に合格して新聞に載るなど有名人でしたから、もちろん存在は知っていましたが、当時は学内で顔を合わせることもなかった。

元久:それはヨッシー(禎久氏のこと)がほとんど大学に来てなかったからでしょ(笑)。卒業後、私は大蔵省(現財務省)、禎久くんは建設省(現国土交通省)に入省しましたが、お互い官僚を辞めて国政選挙に打って出たのも偶然、同じ'96年の衆院選だった。小選挙区制で行われた最初の選挙です。候補者一覧に禎久くんの名前を見つけて、奇縁に驚きました。

禎久:最初の選挙で元久さんは当選し、私は落選。ところが、名前が紛らわしいので私のところに当選祝いの電話がかかってきたり、モト(元久氏のこと)が旧民主党政権で大臣になった時も祝電や花が届いたり、そのたびに「自分ではありません」と説明するのが大変でした(笑)。

古川禎久氏

 

元久:民主党が下野して以降、野党がバラバラになる中で、私は野党の中心から端っこに、禎久くんも第二次安倍政権で反主流派となって党の端っこに位置するようになった。お互い端っこ同士で一緒に行動するようになったんです。

禎久:名前が似ていても、「元久は脳みそが二つあり、禎久には肝臓が二つある」と言われるくらいタイプは違いますが、私は元久さんの見識と教養に敬意を払い信頼している。それで、国の未来や政策課題を考える時など、折にふれて意見を聞くようになり、それが様々な超党派議連の立ち上げにつながっていきました。

元久:最初に二人で手がけたのが'20年の国会での「気候非常事態宣言」決議で、全会派一致での可決に漕ぎつけた。その後も、医療防災産業創生推進議連、石橋湛山研究会など、いくつもの超党派議連を一緒に立ち上げています。

―二人が呼びかけ人になり、今年6月に選挙制度について議論する超党派議連「政治改革の柱として衆議院選挙制度の抜本改革を実現する超党派議員連盟」が発足。また共同代表に就任しました。

禎久:自民党、立憲民主党から共産党、れいわ新選組まですべての政党・会派が参加して発足したので、共同代表は10人。参加者はすでに衆議院議員の約3分の1を数え、今も増え続けています。

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